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Harvey Williams ANOTHER SUNNY DAY INTERVIEW


ANOTHER SUNNY DAYのライナー、書くこといっぱいでライナー字数内に収まらず困ってます(涙)。ナント、Harvey Williamsご本人に、インタヴューに答えていただきました(嬉しい!)。「もしTHE SMITHSが存在していなかったら、全く違った人間になっていたと思う。」って、このコメント聞けただけでも感動モノ。80年代のイギリス…大変だった んだろうけど、現地で見て・体験してみたかった…やっぱり憧れちゃいます。『LONDON WEEKEND』1曲1曲の説明もしていただきましたが、コチラはライナーで!

■ANOTHER SUNNY DAYを始めたきっかけを教えて下さい。

「まず最初に、ANOTHER SUNNY DAYは、バンドでは無かった。1987年の中頃に、仲間を集めてバンドを試みたけれども、“結成”には至らなかった。曲を書き、楽器を演奏していたのは、僕だった。ソロ・プロジェクトよりも賢明なものに思えて、バンドのように見せた(インディ・シーンは何時だってソロ・アクトよりもバンドを好むものなんだ)。で、“何故”かと言うと、他の人達と同じ理由で、誰もが曲を書き音楽を演奏し始めたからだと思う:ポップへの絶対的な愛情と、提供することや、共にすることへの、欲望。」

■SARAH RECORDSとの契約のいきさつを教えて下さい。

「SARAHと契約書は交わさなかった。彼らの手段は適していた、フレンドシップと信頼がベースとなって結ばれていた。彼らがレコーディング費用を払って、利益はフィフティー・フィフティーで1度きり支払われた。シンプル!曲が無くても、いつでもレーベルを去ることが出来た、だけど何故それを望むっていうんだい?」

■当時どんなバンドとライヴを行っていましたか?

「ANOTHER SUNNY DAYは本当に少ししかギグをやらなかった。“ソロ・プロジェクト”だったから。時々、僕はライヴの日に、演奏してもらうためTHE FIELD MICEのBobとMichaelを誘い込んだ(実際、僕が初めて演奏した最初のギグは、曲を交替にやった…半分はTHE FIELD MICE、半分はANOTHER SUNNY DAY…セットの間ずっと)。フランスでの短いツアーの間は、THE ORCHIDSのMatthewがエクストラ・ギター奏者として協力してくれた。何日か後のショウでTHE HIT PARADEのJulian Henryがアディショナル・ギターとして参加してくれた。」

■影響を受けたバンドやアーティストは?

「全て君が予想している通りだと思うよ本当に。初期の楽曲は、CREATIONレーベルの:BIFF BANG POW!、JASMINE MINKS、PRIMAL SCREAM(“It Happens”と“Velocity Girl”は実に素晴らしい。どうやったらあんな音になるのかなと思った)プラス、同時期のバンド(JUNE BRIDES、RAZORCUTS、McCARTHY)。」

■シングル「YOU SHOULD ALL BE MURDERED」を聴いた時、THE SMITHSにソックリだなぁと感激して、あなたのファンになりました。THE SMITHSについてはどう思いますか?

「80年代のはじめ、政府などに不満を抱いているティーンエイジャー(僕みたいな)に絶大な支持を得ていた。真の教育、だったわけだ、音楽的にも、文化的にも。彼らは、全く新しい世界への入り口、だった。もしTHE SMITHSが存在していなかったら、全く違った人間になっていたと思う。」

■CHERRY RED盤のライナーには、「YOU SHOULD ALL BE MURDERED」は、“怒りやフラストレーションの表れだ”と書かれていましたが?

「フラストレーション、確かに。怒り、時として。政治的にも、文化的にも、国民にとっても、暗い時代だったんだ。それでTHE SMITHSが希望のかがり火を掲げていたわけだ。とはいえ、メインストリームの一部になりたいとさえも思わなかったし期待したことなんて無かった。それで、そのことに、怒ったり、フラストレーションを、感じていたわけだ。」

■アルバム・タイトルを『LONDON WEEKEND』と名付けたのは何故ですか?

「70年代と80年代に、“LONDON WEEKEND TELEVISION”というインディペンデントTV会社がイギリスにあった。いつも世間を喚起させるフレイズで:グラマーでエキサイト(なロンドン!!)、フリーダムとグッド・タイムス(の週末!!!)、みたいな。何時間もずっとテレビを観て過ごしていた僕の若さを呼び起こしてくれるものでもあった。」



■当時、“インディ・ポップ・シーン”みたいなものはありましたか?“twee”では無く“popkid”や“cutie”と呼ばれていたとか?これらの言葉について、どう思いますか?

「“twee”という単語はこのシーンを述べるのに使われていなかった(けれど、ブックレットの中のレヴューの一つに使われていることに気がついた!)。“popkid”と“cutie”は時たま使われていたフレイズであって、SARAHレーベルのバンドはサブ・ジャンルにすぎなかった。僕達は“cutie”だったり“shambling(よちよち歩き)”なバンドじゃなくて、僕達は“sarah”バンドだった。この言葉が好きかどうかって。僕はあれこれ評されるのが嬉しいだけであって...だけど僕はいつだってANOTHER SUNNY DAYはパンク・ロック・グループだと思っている。」

■80年代後半から90年代初頭のANOTHER SUNNY DAY活動期は、どのように過ごされましたか?

「僕の人生はとても変化していた。ロンドンで働いて、大学へ戻って、卒業して、失業して、ペンザンスの両親のところへ戻って、ロンドンへ戻って、仕事に就いて。思い出してみると、失業した時は楽しくなかった。人生において最もソングライティングを行った時間だった、一週間に2〜3曲は書いていた。今は1年に2曲くらい...。」

■当時のイギリス政権に関して、CHERRY RED盤のライナーで触れられていたのですが、どのように思っていました/いますか?

「いつだって労働党の熱烈なサポーターだ、80年代は特にそうだった。Neil Kinnockが最期の労働党リーダーだったように思う。サッチャーと彼女のやったこと全て嫌いだった。」

■USインディ・ポップ・バンドHOLIDAYのJosh Gennetと1999年にツアーを行ったと誰かのサイトに書いてあったのを読んだのですが?

「HOLIDAY?Joshと何回かショウを行った。ニューヨークで1回、スウェーデンで何回か、ロンドンでも。彼は才能があって良い奴。ステージを“妨害”するのがいつも楽しみだったよ。」

■今はどんな音楽を聴いていますか?

「今の音楽はあまり聴いていないけれど、昔のポップを掘るのは好き。KRAFTWERK、THE BEACH BOYS、THE BEATLES、オブスキュアなのは特には...。」

■ソロまたは新バンドとしてアルバムをリリースする予定はありますか?

「ソングライティングが以前みたく自然に出て来ないけれども、今でも新曲を時々書いているよ。」

http://www.myspace.com/harveywilliams2
harvey.williams@tiscali.co.uk
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